無気力な、私の精神世界

趣味のカメラや雑記等。

病院で、人と違うということ④

 

大変な病気で苦しんでいる方々の前では言いにくいが

私が持つ問題は

理解してもらえず

信じてもらえず

あげくレッテルを貼られ

職員達による

集団いじめのような攻撃を受け

追い出される

 

どんな病気よりも苦しいのではないかと思う

 

検尿の提出ができないのはなぜか

薬物乱用者であるからだ

そう考えるのが普通、か

 

自宅では普通に排尿でき

外出先では出来ない

そんなことを信じる人はいないのだろう

日本全国でも

そんな症例はないのかもしれない

 

クリニックでの

咳止めの薬、こむら返りの薬

バセドウ病に直接対応する薬以外出してくれなかったのも

紹介状を当日朝に取りに来るようにという指示も

私を疑っていたからだ

紹介状には私が薬物乱用者である可能性について

書かれていたに違いない

万が一にも中身を見られる事を恐れて

当日朝だったということだ

 

紹介状を見た金沢医療センターの医師は

私が検尿カップを返却したのを確認後直ちに判断をした

医師は私と話をする理由も意味もないと判断し

フロアスタッフ全員に薬物犯罪者の存在と

それの排除を業務連絡した

 

看護師の方々が私の事を横目で汚い物を見る様にしていたのも

受付の事務の方々が私を見て

恐怖と緊張の表情を浮かべたのも

私は違法な薬物の乱用者

病院の脅威/敵になっていたからだ

 

私の全く知らないところで

そうなっていた

 

 

出来ることは証明できる

しかし

出来ないことは証明できない

 

私は

出せないことを

証明できない

 

信じてはもらえない

分かってももらえない

 

 

 

病院で、人と違うということ③

 

クリニックの待合室で、隣に座っていた老夫婦のおしゃべりが聞こえてきた。

曰く、旦那さんが脳梗塞で医療センターに運び込まれた。

後日談~

「あの先生口が悪すぎる」

「看護師さんに先生変えてくれって言ったら、先生は2人おってその時いる方が見てくれるんやって」

「その時は別の先生やったからほんと良かったわ」

(医師の?口が悪すぎる?)

話が進んで娘さんの話~

「診察室で先生とケンカしたんやって」

「カルテに無茶苦茶書かれたとか言っとったわ」

「もう医療センターには絶対行かんって」

(診察室で医師と患者が怒鳴りあうって普通なのか?)

 

上記は実際私が経験したことではなく、聞いた話だが、

私の体験と合わせて、”そういう文化”を持った所なのだろうか。

 

あの日(23年9月27日)金沢医療センターのメールアドレスを探している過程で、そのホームページの内容を確認した際、ある意味納得したのを覚えている。

 

ホームページの「病院案内」の「理念と方針」の「患者さんの権利と義務」の部分。

 

”患者さんの義務”

 

患者には義務が課せられていたのだ。

 

1.ご自身の健康状態をできるだけ詳細かつ正確に、医師をはじめとする医療提供者にお知らせ下さい。

1.検査や治療方針について納得し合意のうえ、意欲を持って取り組んでください。

1.快適な療養環境づくりに協力下さい。

1.病院の規則と職員の指示を守ってください。

金沢医療センターホームページより)

 

内容は至って一般的なものではあるが、一般論として”義務”には”従わなくてはならない”、事実上の”強制”の意味がある。

当然、”義務”に違反した場合には”制裁・懲罰”がある。”義務”という言葉にはそれだけ強い意味がある。

 

私は、起こった事が必然であったと納得した。病院にメールを出す直前のことだった。

 

医療センター側としては、私が義務を犯したと判断し、病院側の当然の”権利”として私に”制裁・懲罰”を加えたのだ。事実上明記された行いでもあった、ということ。

 

”そういう文化”というより、

ただ”そういう理念””そういう方針”。

 

そんなことを思い出しながら、金沢医療センターのホームページをもう一度確認してみた。(2024年6月)


”患者さんへのお願い”!? になっている?

 

私の勘違い? そんなはずはない。

上記の大筋は当時(23年10月)メモしたものだ。

 

WAYBACK MACHINE で過去の金沢医療センターのホームページを確認してみる。

 

 

・・・

やはり”患者さんの義務”だった。

 

「理念と方針」内の文言、

病院の根幹に関わる様な部分、

この半年で差し替えられたのか・・。

 

何れにせよ当時の”患者さんの義務”から透けて見えるのは、私が遭遇した事態、つまり”制裁や懲罰”は病院側から見て当たり前の対応だったということ。

病院内で出会った職員の方々全員が”それ”が発動されたことを理解していた。

 

マニュアル化された対応、

寛容さの欠片も無い、

そう感じたのは、この為。

 

 

 

 

病院で、人と違うということ②

 

待合廊下で待っていた

10時30分から11時の間

廊下を曲がったすぐ先から小さく声が聞こえた

「血液検査待ちってことにしておく」

そう聞こえた

最初に診察室で対応して下さった医師の声だ

そして小さな小さなナースステーションに

ファイルを預けた

そんな「気配」がした

 

-誰について言ったのか?

-気配がした?

もちろん私の主観に基づくものだ

だが私についてだったのは間違いないと思う

-血液検査結果がでる時間

-私を干している間、

 診察室からナースのもとにファイルを返した

間違っていないと思う

 

その医師は最初の問診の後言った

「私が最後まで責任を持って診させて頂きます」

そんなことを言ってくれたと思う

だが実際はそれからすぐ、あるいは1時間経った頃

私の排除命令を出すことになる

 

その医師が判断を下したのだと思う

 

話をさせてほしいという思いは届かなかった

聞き入れられることはなかった

 

 

 

病院で、人と違うということ①


自分が持つ、
ある疾患について
それまで誰にも話したことは無かった。

 

羞恥心であったり、
劣等感であったり、
みじめさであったり、

理由は様々複雑だ。

 

言葉に出来ないほど苦しんできたが、

自分一人が耐えていれば、

家族や他人に余計な負担を強いることはない、
何でもない顔さえしていれば何も問題無いと思っていた。
だから誰にも話したことはなかった。

親にでさえ、言わなかった。
言えずにここまで来た。

 

しかし、

必要であれば医療従事者に話すことについて、

必ずしも負担に思ってはいなかった。

 

不安に思っていても、話してしまえば、
「そういうのを持った患者さんね」
で済む事と思っていたからだ。


だが23年9月、

バセドウ病の診察・治療をお願いしに行った病院で、全く思いもしないことが起こった。


もっとも理解があると思っていた職種の人達が、驚く様な対応をとってきた。


誰にも言ったことの無かった疾患、つまり”特殊な排尿障害”が原因だ。


私にいくつかの非があったことは否定しようもないが、結果として人として扱ってもらえなかった。

話を聞いてもらうことさえ出来ないまま、

追い出された。


以下はその時の一連の記録。

当時のメモを繋いだもの。

冗長ではあるが時系列順に事実を正確に記した。(私の主観に基づく感じた事、思った事等含む)

病院で、診察室で、私が受けた衝撃は伝わらないと理解しているが、こんな現実もある、という一つの例。

 


バセドウ病を患い、治療を続けていたものの体調が悪くなる一方の為、専門医のいる総合病院で診てもらうことになり、23年9月27日午前8時30分、掛かりつけの医師の指示通りクリニックにて紹介状を受け取り、9時前に金沢医療センターに入る。


手続きを行い、内分泌科・初診科へ。

大勢の人。
特に待った覚えもなく名前を呼ばれ、
待合廊下からL字を曲がり診察室へ。

L字を左に曲がったところで正面奥の診察室の様子が目に飛び込む。
向かい合った男性患者と医師。
診察室の扉は全開。
右手手前の診察室の扉も全開。そこは無人
「・・・」
わずかな違和感を感じつつも、すぐにそれも忘れる。


私は右手奥の診察室に扉を開け入室。

問診・触診等。

どの様な検査をするのか聞いてみる。

血液検査は5本取ります???
(貧血になるかもしれない・・・)
その他、エコー、心電図、等。
1つを除いてそこで簡単な説明を受ける。

 

退室後、看護師さんから
黄色いクリアファイルを受け取り、
「番号の検査を受けて下さい」
とのこと。

最後にファイルの上にカップがポンと
置かれる。

検尿カップ

診察室で唯一言及の無かった検査。

汗が噴き出る。

(まぁ、何とかなるはず)


血液検査室、長蛇の列。

先にトイレへ。


再び汗が噴き出す。

ちょっとした公園のトイレより小さい?
大勢の人。
奥から洋式個室、和式個室、出入り口通路、
それぞれの前に小便器が2基ずつくらい?
(個室が2つ・・)

一度そこを出て、うろつき、
また入る。

偶然和式個室が空いてそこに入る。

しかし、私はこういった騒がしい状況では排尿できない。

(診察室で検尿について言及があったなら話すつもりでいたのに・・)

もう遅い。

空のままのカップを、トイレ奥の窓口に置いた。


後で医師に「検尿は~?」
とでも問われれば、そこで説明すればいい。

ここは総合病院。

”下”の話ではあるが、
相手は医療従事者。

他の患者より手間を掛けさせることになってしまうが、話せば何の問題も無いはず。

 

採血室へ入ろうとしたその時、

採血室の奥で女性看護師が怒った声で半ば怒鳴る

カップが空のまま置いてある(怒)」

男性看護師

「あー、時々いるんですよ、そういう人」


また、汗が噴き出る。

心の中で頭を抱える。

平常心を失いそうになるものの、

(医師に話せば、あっけなく分かってもらえる。大丈夫)

そう自分に言い聞かせる。


採血室を一度通り過ぎ、また戻り、入室する。

あからさま緊張する私に
この人大丈夫?と思われたのか、
先ほどの女性看護師の方、声を掛けてくれながら丁寧に採血をしてくれる。


カップが空のまま置いてある(怒)」

頭の中で繰り返す。

怒られた。怒らせた。

(問題を起こす気などあるはずがないものの・・どうしようもない。後で医師に話せば大丈夫、分かってもらえるはず)


精神が滅入り気味になりながらも指示に沿って検査を行い、小さなナースステーションにクリアファイルを提出する。


座っているとすぐに名前を呼ばれる。

看護師の方にクリアファイルを再び渡され、

改めて検尿カップを渡される。

そして、心電図を撮り忘れている旨伝えられる。


また、心の中で頭を抱える。

戻ってきた検尿カップ、そしてミス。

頭を抱える。


この時、検尿については医師に話して分かってもらう、その一点突破以外考えていなかった。

間違いなく他の患者の耳にも入ってしまう廊下で、看護師に話すことは考えられない。


看護師さんに、受け取ってすぐのカップを返却しつつ伝える。

「これは、先生とお話させて頂いた後で・・・」

一語一句違わず、そう言ったと思う。


その後その足で、生理機能検査室内での心電図。


検査後、女性看護師の方がすごい勢いで検査室から飛び出して行く。

・・正確には、一目散に逃げ出して行った。

”何か悪い事が起こった”

そう感じた。

 

机があるだけのナースステーションに、
改めてクリアファイルを提出する。

空のカップ提出、
検尿カップの返却、
心電図ミス、
逃げ出して行った看護師の方。

座って待つ私を、焦りと不安が包み込んでいた。

 

左斜め前に座っている男性、
開けっ放しの診察室にいた男性患者だ。

看護師さんから大きな声で下剤を飲むタイミングの指示。
腸カメラだろうか。
待合廊下全体に聞こえる。

 

11時前頃。

患者が大分減ってきた。


私は遅く来院したわけではないと思ったが、

名前は呼ばれなかった。

しかしすぐに、なぜ呼ばれないか理解した。


角の向こうから小さく医師の声。

「血液検査待ちってことにしておく」

同時に看護師の方になにか渡した様に感じた。


・・・多分、私についてのことだ。


以前ネットで見た、病院等に関するネガティブな書き込みを思い出した。

”これか”と思う。

検尿のことで”問題患者””検査拒否患者”と判断されたに違いない。


気が滅入った。

(医師に話さえ聞いてもらえれば・・・)

精神の消耗が一段と激しいものになったと感じた。

 

物凄く寒く、苦しい。

手足の震え、頭の震えが出始める。

手は真っ白、顔もおそらく真っ青だろうと思う。

 

午後12時を回った頃、

残された患者は3人。

恐らく問題患者と判断された3人。

踏みつけられ、動けないでいる患者が3人。

他の患者はとっくにいなくなっていた。


まずどこからともなく現れ、斜め前に座っていた60歳前後?の男性。

何か尋ねた看護師さんに
「診察はもう終わっとる(怒怒怒)!」等、怒声・暴言。

その後も一人で怒鳴り続けている。
決して近づきたくないタイプの人。

(・・・私も同類と思われているから、まだ、ここにいる)


その後すぐにその人が去り、

次に30歳前後?の女性。

そこにいることに気付かなかった。

L字の角、距離が離れているが、私のほぼ正面に座っていた。

顔、目線を真っすぐ水平に、その正面には片手で掲げたスマホ

それを微動だにせず凝視している。

何か強く思う事があってのその姿勢、という雰囲気。


看護師さんがその人のもとに来る。

「子供を迎えに行かないと、遅れてしまう」
「早くして下さい」

断片的に女性の訴えが聞こえる。かなり怒っている。不快感をはっきりと表に出している。

似た年齢?の女性看護師さん、同情の様子。

診察室と女性の間を1~2度行き来し、

女性やっと解放される。

 

12時半ごろ。

私一人。

この日、最も痛めつけたい患者が私、ということ。


きつくて苦しくてたまらない。

震えが止まらない。

寒い。


座っている椅子は手すりが有り、横になれない。
-斜め後方に長椅子があったことに気が付かなかった。

床に寝転がろうかとも思ったが、
そのまま30分1時間もすれば、寒さで大きなダメージを受けると思い、必死で椅子にしがみつく様にして座っていた。

 

周囲に誰も居ないと思っていたところ、
右斜め前方の生理機能検査室の中。

「来た時とぜんぜん違うねー(笑)」

2人の女性看護師の方がおしゃべりをしながら検査室の中を歩くのが見え、消えていった。

私が見えたタイミングだったので私について言ったのだと思う。


来た時と全然違う。

それはそうだ。

カツカツと革靴を鳴らしながらここに来た、

今はガタガタ震えながら、小さくなって必死に椅子にしがみついている。

それを、医療関係者が笑っていくの?


誰も居なくなった様に思える病院の中、

おかしな世界に迷い込んでしまったように感じ、何か恐ろしく感じた。


寒さや苦しさと共に頭が朦朧とし始めていた。

 

午後1時前、

多分、名前を呼ばれた。

立ち上がり、歩き出したものの、真っすぐに歩くことが出来なくなっていた。

それでも何とか歩き、L字を曲がって右手前の扉が開けっ放しの診察室に入室する。

最初の問診とは別の男性医師が、じっとその様子を見ていた。


「よろしくお願いします」

私が小さくそう言って椅子に座った後、目の前の人物が一言二言何かを言った。

何と言ったのかは、全く覚えていない。

というのも、驚愕した、唖然としたからだ。

その話し方に、だ。(この衝撃は、文章上では到底伝わらないと思う)


不適切な表現が含まれてしまうかもしれないが、目の前の人物はアスペルガーの人の様な声、話し方をした。

うまく説明出来ないがつまり抑揚がなく、言葉と言葉がつながった様な棒読み調、棒っ切れのような声、話し方だ。


一瞬たじろいだが、アメリカのドラマで自閉症の医師のドラマがあったことを思いだし、

またフランスのドラマ、アストリッドとラファエルで主人公が参加しているセミナーの参加者の一人、アスペルガーの北米先住民系?の男性が「自分は”能力者”なのに、話し方のせいで馬鹿っぽく思われる」と嘆いていたことも思い出した。


こんな話し方をする医師、なのか?


しかし表情、そして目をみれば分かる。横目でこちらを睨みつけていた。

声には多少の怒気も含んでいる、ぶっきらぼうなそれとは違う。

心底蔑んだ相手に対して、心底うんざりしながら声を出すと、こんな感じになるかもしれない。

”病院の指示に従わなかった相手に対して少々嫌がらせをする、というレベルではない”状況に至っているのだと感じた。


私は医師に誤解を解く為の”これまで人に言えなかった話”をしなければならなかった。

だが、目の前の人物に話すことは出来ない。

私にとって軽い話じゃない。

私の人生と天秤に掛けられるくらい重い話だ。

 

座ってすぐ、何とか状況の打開をと思い聞いてみた。

「最初に対応してくださった先生とお話させて頂くことは出来ますか?」

多分一語一句違わずこう言った。


目の前の人物は、想定外の言葉に動揺したのか、

「あー〇〇せんせーはー~~~~~~~~~~」

言葉の中盤、素の話し方が出てくる。言葉の終わりにまた棒読み調に戻る。

何と言ったのか詳細は覚えていないが、つまり「不可」。

しかし、意図的に”普通とは違う話し方”をしていることは確認・・。


私は混乱し、落胆し、絶望を感じていた。

なぜ、このような”普通ではない話し方”をするのか。


明らかだ。

「あなたをバカにしていますよ」

「あなたを尊厳ある存在として認めませんよ」という意思表示だ。

 

意図的に悪意を持ってこの様な発声・話し方をする人物を病院の診察室の中で目の当たりにする衝撃は、すさまじかった。

敵意剥き出しの目の前の人物に対して、

親にも言ったことの無い自分の疾患について話すことは出来ない。

尊厳を踏みにじってくるかの様な相手にそんなことは出来ない。


”医師に話を聞いてもらえば誤解は解け、何の問題もなく事が進むはず”


・・愚かな楽観論。

ありえない希望的観測。

心底、落胆した。

 


・・・

 


ただ、座っていた。

目の前の人物はデータの打ち込みをしている。


突然、こちらを向き無言で紙を手渡してきた。

私は放心状態でそれを受け取り、折り畳み、バッグにしまう。


「無言」


「無言」


何かしらの言葉、対応を待ったが、何もない。

苦しい、寒い、意識が朦朧とする。


「無言」


「無言」


「無言」


ふと思いたち、

真っ白になり震える両手を前に出して見せながら、

「これは、低血圧ですか」

と聞いてしまう。

目の前の人物は、資料を勢いよくパラパラと確認した後、例の棒読み調の声で

「てーけつあつではありませーん」

と答える。

(私は、「これは貧血ですか?」と聞いたつもりだった。数日後記憶を巻き戻す過程で違和感があり気付く。低血圧と言ってしまった)

 


「無言」


「無言」


「無言」

 


もう一度、震える両手を前に出して見せながら聞いてみる。

「これは、どういう状態ですか」

目の前の人物、もう一度、

「てーけつあつではありませーん」

そのすぐ後に独り言の様な小さな、素の声で、

典型的、甲状腺********

と呟く。

ほとんど聞き取れず。

実際、正確に聞き取れたのは「典型的、」まで。割と長い症状名を呟いた?

(目の前の人物は病院の”追い出し屋”ではなく、”本物の医師”か・・)


私を相手にする気は全くない・・。

 

 

「無言」


「無言」


「無言」

 

 

「とーびょーいんでちりょーを続けますか○○クリニックで治療を続けますか」


唐突で、何を言っているのか分からなかった。


現在の症状(甲状腺~~~~)の治療?
それともバセドウ病の治療?


正直、目の前の医師から治療を受けるのは怖いと思った。

点滴一本打つだけでも、きっとあからさま雑に扱われる。
そしてまた、長々と放置される。
そうなるだろうと、確信を持って思った。
しかし・・

「とーびょーいんでちりょーを続けますか○○クリニックで治療を続けますか」


答えに窮し間が空いてしまい、棒読みの全く同じ言葉で畳みかけてきた。


混乱した。

困惑した。

完全に気持ちが折れた。

病院という場所は、
例えば銃の乱射事件を起こし、
数十人殺害した挙句、警官に撃たれて運び込まれた様な人物であっても、
治療を受けられる所だと思っていた。

だが私に対しては、事実上の「出ていけ」だった。


クリニックに紹介状を書いてもらい専門医のいるこの総合病院にやってきた。

来院してすでに4時間は経ち、

消耗して真っ青になり手や頭は震えを起こしている。まっすぐ歩くことすら出来ない。

当然それを分かった上で、わざわざこの病院で治療するのか、それともクリニックに戻るのか、という選択肢を提示するということは、

「出ていけ」の意味だ。


一呼吸置いた後、
「・・・○○クリニックにお願いすることにします・・」
と声を絞り出した。

すぐに医師はPCに、
”診察終了”と打ち込み、
そしてこちらを向き、
大きく太い棒っ切れのような声で、

それじゃー

と言った。

私は小さく「ありがとうございました
と言い、扉を開けっ放しの診察室から出た。


なぜずっと扉が全開なのか、理解した。

排除したい患者用の診察室だ。

お前にはプライバシーも尊厳もないんだぞ、

と分からせる為の部屋だ。

処刑部屋/さらし者部屋/追い出し部屋、といったところか。

内分泌科・初診科の診察室5~6室の内、2部屋が常に扉全開の処刑部屋。

初診科の業務の一つが患者の選別、なのだろう。


待合廊下のあの女性。

あの少々特異に見えた姿勢、姿。

体を硬直させてしまう様な、強い思いが全身に渦巻いていたのだ。


一人で怒鳴り続けていた男性。
多分、私と同じ様な扱いを受けて怒っていたのだ。
(やばい人扱いして、申し訳なかったと思う)

医師の態度、あれは人をバカにし、怒らせる為の話し方だ。

男性の言葉を思い出してみれば、
あの部屋には入りたくない、
医師にはもう会いたくない、
と激しい言葉で怒鳴っていただけだった。

あれが普通の人の反応かもしれない。
激しい不満、不快感、憤り。
2度とこんな病院に来るものか、と思う。
が、それは病院側が狙ったもの。

これが現実・・。


ふらふらと真っすぐ歩けず、
右へ左へ後ろへ前へしながら椅子がある所にたどり着いたが、すぐに座りたかったものの、その部屋から少しでも離れたいと思い、2~3席離れた、さっきまで座っていた椅子まで行って座った。

 

呆然としていた。


結局、バセドウ病の診察・治療をお願いしに来たものの、

それらについて、一切言及は無かった。

検査結果についても、

無言で紙を渡されただけで、口頭では説明もなにも無かった。

(診察室の中での会話は一語一句そのまま、ほぼ正確に表した。医師の最初の一言二言は衝撃のあまり忘却したが、上記以外のやり取り・言葉は一切ない)


話をすれば分かってもらえる。

説明すれば理解してもらえる。

とんでもなかった。

追い出すこと、二度と来院させないこと、

私に対してはそれが全て。

病院の私への敵意が想像を絶するものだった。


他の患者さんがまだ大勢いた頃、時折廊下を行き交う看護師さん達が、私の事を汚い物を見るような目でチラリと見ていった。

-もちろん、「これが例の患者か」とただチラッと見ただけ。「来た時と全然違う」と厳然たる事実を述べただけ。

先ほどの医師。睨みつける目、私を人として扱わないという態度。

-それも「追い出せ。2度と来させるな」と指示を受けての対応/態度。

個人の性格や資質と関係なく、それが組織の人。


ロシア兵、イスラエル兵、兵卒一人説き伏せたところで大局は変わらない。

対話?話し合い? 意味がない。

強い者が弱い者を思うままに踏み潰すだけ。

 


バセドウ病の治療に来ただけのはずだった。

しかし私は、別の問題も抱えていた。

そんなものがあってはいけなかった。


ただただ悲しく、みじめに思った。

 

割とすぐ、だったと思う。

黄色いクリアファイルを持った女性看護師さんが角を曲がってこちらにやって来た。

私はふらふらと立ち上がろうとしたが、
その方は「あぁ、そのままでいいですよ」と言って下さった。
ただ、不自然に低い声だった。

これを〇番窓口に出して下さい。
というようなことを言ったと思う。

頭の中が真っ白で、
何をしにどこへ行くのか分からなかったが、
とりあえず歩き始めた。


血液検査室前。
周囲に患者はもういないと思っていたが、
2~3人?
疲れ切ってうなだれて座る患者がいた。

初診以外の排除対象患者?


出入り口方面へ向けてふらふらと歩く。
すると、〇番窓口の表示。

〇番窓口 → 〇番窓口 → 〇番窓口/支払い窓口。

これから支払いをするということに気付く。


窓口の女性事務の方3名、

私を見てあからさまな恐怖と緊張の表情を浮かべる。

(・・ここも、か・・・)


料金は9070円。

何の為の支払いかと思いながらも、しかたなく支払う。

虚しかった。

 

 

方向感覚が全く無かったものの、
偶然迷わず車の場所までたどり着く。

駐車券支払い。

係りの比較的若い男性が
「ありがとうございました」と。
私は軽く会釈を返す。

そこでハッとする。

その男性係り員の声は
人が人に掛ける声音だった。

そして気が付いた。

医師ははもちろん、
看護師、受付の事務の方、
誰一人、別れ際に定型文の
「お大事に」
を言ってくれることは無かった。

無言だった。


病院内で、

全ての職員から私は人として扱われていなかった。

改めてそう思った。

 

直後ゾッとする。

信号確認も左右確認もしないまま
大通りに飛び出す。

その時の私は
認識力、判断力、平衡感覚等著しく低下した状態で、明らかに車の運転などしてよい体調ではなかった。

そうと分かってはいたものの、

正直、どうでもよかった。

車に乗り込み、構内の立体駐車場を降りたところでアクセルを踏み込み病院建物に突撃して死のうかと思った。

自暴自棄な状態であったことを否定出来ない。


先行車に連なって車を走らせる。

大学病院前、
信号が2~3機連続していたことを思い出し、
視線を上に上げる。

しかし、
信号を見つけられない。

上を見て、
視線を前に戻す。

頭に何も残っていない。

どうしようもない。

 


午後2時頃、家に着く。


車から降りられない。

無力感。脱力感。

出せなかったことで、攻撃を受けた。

これ以上ない位辛く、悲しく、みじめに思った。

公的な施設から、人格や尊厳を全否定された。

起こったことが信じられなかった。

死にたいと思った。

 

午後3時頃、
医療センターに、検査に対応出来なかった理由だけでもメールしようと思い立ち、家の中に入る。

しかし落ち着かず、
家の中をウロウロウロウロと歩き回る。

結局1時間ほどそうした後、
自室に戻りメールを打ち金沢医療センターに送信した。

意識は混沌とし、
感情的な状態で作成し送信したのが以下のメール。
(個人情報以外、原文のまま)

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金沢医療センター
内分泌・初診科の皆様へ

本日、令和5年9月27日
金沢医療センター・内分泌・初診科を受診致しました、

私は、

**** 
*** **** M
S****** 
患者番号***-***-0

と申します。

本日、大変なご迷惑をおかけ致しました事についての謝罪と、
内分泌・初診科にて、ひどい扱いを受けた、と感じたことを
何としてもお知らせ致したく、本メールを差し上げる次第です。

まず私の病歴について、なのですが、
自律神経失調症片頭痛(10代前半から20台後半)
喘息(幼い頃)オスグッド・シュラッター病等
ありますが、
現在のバセドウ病についてのみ担当医師様に報告相談をさせて頂きました。
****内科クリニックからの紹介状にもバセドウ病についてのみ、
書かれていたことと思います。

ですが、実際私が最も苦しんできたのは、
自律神経失調症でした。

というのも、私は外出先で排尿が出来ません。
一定程度のプライベートな領域が確保されないと外出先で排尿が出来ません。
ストレスが掛かると眠れません。時に突然汗が滝のように吹き出ます。

特に外出先で排尿が出来ない件については、
これまでも死ぬほど苦しんできました。
24時間以上排尿できないことも何度かありました。
死ぬほどつらい思いをしてきました。
先の****クリニックでの検診では一度帰宅して、
尿を取り、持ち込みました。

それらについて先に報告させて頂いておくべきでした。


大変なご迷惑をお掛けしてしまった事ですが、
採血室で「カップが空のまま置いてある(怒)」と怒鳴った
だみ声の女性看護師様が居られましたが、
それは私です。
検尿カップを空のまま提出してしまい、
申し訳ありませんでした。

その後他の看護師の方より指摘を受けましたが、
先生とお話をさせて頂いた後で、、、とお答えさせて頂き、
一定の理解を得たものと思っておりました。

検尿の提出方法について相談させて頂けると思ったのです。


ですが、実際はその様には行きませんでした。


次に担当頂いた医師は、
人と人との対話、をする気は無かった様に思われました。

「検尿について、、」
話は一切ありませんでした。

検査結果等について、、
話は一切ありませんでした。
説明は一切ありませんでした。

私が動揺と採血による一時的な貧血?で
ガタガタ震え真っ白くなっていても、
「貧血ではありません。」
だけでした。

最後に残された患者が私と、
看護師の方に軽く暴言を吐く方だったことも思い出し(診察はもう終わっとる!!等)
「検査拒否を行った患者や乱暴な患者は
うちの患者じゃなくていい」
という病院側の意図がはっきり見えた気がしました。

意識が若干朦朧とし、
即答出来ずにいる私に、
医師は機械的
「当病院で治療しますか。
****クリニックで治療を続けますか。」
と2度続けて言いました。

検査結果の話も何も無いままに。

人間扱いをされていない。
とまで感じました。


帰宅後1時間、車から降りられませんでした。
非常に、ものすごく、つらく、悲しく、思いました。

正直、死にたいとさえ思いました。

 

どうか、ご理解ください。

検査拒否を行ったのではなく、話をして解決策を見つけ出せる、
楽天的な気持ちでいてしまったのです。

私の様な言葉足らずな、肉体的に欠陥のある人間もいることを、

どうか、ご理解ください。

 

2度と金沢医療センター様に
迷惑をお掛けすることはありません。

本日はありがとうございました。


**** 

 

 

採血室で「(検尿)カップが空のまま置いてある(怒)」と怒った
だみ声の女性看護師様に採血して頂きましたが、
採血後体調が悪くなったことがあるとお伝えしたところ、
大変やさしく丁寧に処置して頂きまして、
今までで一番痛みのない快適な採血でした。
感謝しております、とお伝えください。

年配のだみ声の女性看護師様、ありがとうございました。


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***-****@mail.hosp.go.jp
へ2023/09/27 水曜日 17:51 送信

(!?年配のだみ声の女性看護師様!?)

・・・内容は上記の通り。

当日のこの段階では、薬物を疑われていたことに気付かず。
事務の方の恐怖の表情が理解出来ずにいたが、
2~3日経って検査拒否ではなく薬物かと思い至る。

(参考までに、私は違法な、あるいはグレーな薬物を服用したことも購入したことも無い。合法的な市販薬、処方薬、サプリメント等であっても定められた用法容量を逸脱した服用を行ったことも無い。酒、たばこ、ギャンブルもしない)

 

自室でうなだれていると

帰宅した母が様子を見に来た。

その母に、医療センターでゴミの様に扱われたこと、

診察も治療も何も言葉を交わすことすら拒否されたこと、

そして、初めて自分の外出時の排尿障害についても話した。

母はそんなこと分かっていたと言った。

当然か。

外出先で焦りだす姿を見ているし、

小さい頃は出かけてもすぐに帰ろうと言い出した。

それをずっと見てきたのだ。

 


夕食時、突然の嗚咽。

直後、頭から手足まで全身の激しい痙攣。

床に倒れこむ。


頭が激しく揺さぶられ、うめき声。

両手両足、全身を全く動かせず、
激しい痙攣が続いた。

瞬きをしていないのを感じていたし、
唇は左右が上下にねじれていた。

こんなことは初めてだった。

うめき声を上げながらの全身の痙攣は45~50分ほど続き、
それが収まった後、風呂にも入らずそのまま眠った。


それからおよそ1週間、
言葉を発しようにも
「あうあう」
としか言えなくなる。

 


言葉を発することが出来るようになった頃、

金沢医療センターから(?)メールが届く。

(個人情報以外、原文のまま)

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2023/10/06 金曜日 11:24

外来対応についてのお詫び 金沢医療センター


****様

 

大変お世話になっております。

金沢医療センターの患者相談窓口を担当する**と申します。

この度は、外来受診時の対応により、**様に不快な思いをさせてしまいましたこと

心より深くお詫び申し上げます。

 

病院職員を気遣った文面になりますが、大変苦しい思いをされたものとお察しいたします。

**様が抱かれたお気持ちについて、関係部署で共有するとともに、今後の指導につなげて

いきたいと思います。

また、病院という場所は、さまざまな疾患や障害を抱えた方がやっとの思いで来院されるという

認識を新たにし、紹介状の有無にかかわらず、患者様の状態に寄り添った医療や看護を提供できるよう

今後も努めてまいりたいと思っております。

 

メールでのご連絡となり恐れ入りますが、心よりお詫び申し上げます。

 

*************************************

独立行政法人国立病院機構
金沢医療センター 企画課 ** **
〒920-8650
金沢市下石引町1番1号
TEL 076-***-****(内線***1)
FAX 076-***-****
E-Mail : t********.*******.va@mail.hosp.go.jp
*************************************


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返信があるとは思っていなかった。

まして謝罪。

事務の方が確認して
迷惑メール→削除
で終わりと思っていたので驚いた。


しかし、メールアドレス等確認して納得した。

病院のサーバーを使ってはいるものの
個人名/フルネーム(!)が入ったメールアドレスからの送信。
(t********.*******.va@mail.hosp.go.jp)
内容の主体者も同患者相談窓口の職員の方。


金沢医療センターからを装ってはいるものの、病院公式ではなく、病院を代表してでもなく、

あくまで個人の作文。


事実関係に一切触れずに、盾になる職員に個人名で謝罪させる、という対応。

組織防衛が最大の関心事。

内容に実があるのかどうか、分からない。

あっても、意味が無い。


一般に問題が発生すれば原因究明と再発防止だが、私のケースの場合、おそらく職員達はマニュアル通りの対応を執ったにすぎない。

また医療業界で今までもこれからも、

続けてきた、続けていくことであろうから

再発防止も何も無い。


残念ながら(当然ながら)

「今後このようなことが起こらぬよう~ 」

的な(問題のある対応をしたという)文言はなかった。

 

ある種の患者に対して、

組織的に強力に排除する方向で動く。

職員や他の患者の安全、円滑な医療現場を守る為にそうするということは、

理想/表向きと現実/実際は違うという、ある種社会常識の範囲でそんなものかとも思う。


世の中のほとんどの人にとって全く関係のない、まず遭遇することのない話なのは間違いないと思うが、私は覚悟をする必要がありそうだ。


あの日私が経験したこと、見たこと感じたこと、病院職員からのメール、他の医療機関での事。

私が普通に受け入れてもらうのは難しいと感じる。

あの時は話をさせてほしい、話を聞いてもらえさえすればと思ったが、

”話た”ところで何か変わっただろうか。理解してもらえたのか、信じてもらえたのか。


検尿の提出ができないのはなぜか。

薬物犯罪者であるからだ。

病気についてもっとも理解があると思っていた職種の人々はそう考えた。


年間何万人、のべ何万人もの患者に対応してきたであろう医師・看護師達の全員が、

検尿カップが空のまま提出されたという事実をもって問題患者来院としか考えなかった。

なぜ、とは思っただろう。しかし決して直接聞く事はせず、最も極端な結論に終始した。

排尿に問題を抱えている患者、とは考えなかった。・・それは、どの医療機関でも同じだった。


”話た”ところで薬物犯罪者と疑念を持った人達が、聞いたことのない、証明も出来ない言い訳話を信じるだろうか。


私の他にも攻撃を受けている人が複数いた。

”疑惑の患者”が普通の扱いを受けられたのか。


ありえない。


現場で感じた寛容さの欠片も存在しない雰囲気。


無理だ。

 


例の検査、

が必要な場所にはもう2度と行かない。


病院へは、もう行けない。

 

 

 


小学校を出て以降、

30年引きこもり状態の私ではあるが、

ずっと、

いつかは、

社会復帰をと思っていた。


しかし、

この日を境にそんなことは考えられなくなった。

私には居られる場所はないと教えられた。

 

私にとって

病院からの拒絶は

社会からの拒絶そのものだった